『ケダシ夫レ 此の観世音菩薩尊像金紙金泥ノ絵百体ハ是レ則チ弘法大師御眞筆也。
往昔 高野山ニ於イテ類火ニ逢ヒタリト雖ドモ 尊体火中ニ於イテ子細無カリキ。
備前国 青龍山是妙院満?正寺 大師開基ノ寺ニ移シ納メシメタリ。
然所 元亨(鎌倉1321〜1324)年中之乱ニ於イテ彼ノ寺彼ノ寺兵火ニ逢ヒタリト雖モ尊体消失無ク火中ヨリ出デタリ。
コノ故ニ 世ヲ挙ゲテ 除火ノ観音ト云フ。
寄ナル哉 薩タノ霊験目前ニ有リ 加之(シカノミニモアラズ) 単信称名行者ノ命終 迎接蓮台モットモ頼リ有リ ココニ慮(オモンパカ)ラズシテ縁有リ 以テ此ノ霊像ヲ求メ歓喜シテ表具ヲ調ヘ寄納セシム。
当寺常の什物ニシテ 二世(今生来世)安楽ノ加護ヲ乞フノミ。
宣(?) 宝永元年(江戸1704)九月十八日』
百体観世音菩薩尊像(一部分拡大図) | 百体観世音菩薩尊像(上記原文の拡大図)
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